小中部 みんなの声

2015/12/11
高校生活は甘くない
先日、鉄人の「高校生活は甘くない」の教育セミナーに参加させていただきました。

そこで事前の録画された実際に高校に通う高校3年生、2年生の生徒のインタビューを見させていただきました。

印象に残ったことは高校は勉強する科目が増えるということです。うまく対応しないと学校の勉強についていくのも大変だなと思いました。

また、学校の勉強と受験勉強は別物なんだということを感じました。学校の勉強で詰まっていては受験勉強は到底難しいこと。学年が上になるにつれて受験勉強の比率が高くなってくることを教えていただきました。

そして自分をよく知っている高2生の話では自分は体力がそれほどないので部活はしていないとのこと。

勉強に差支えがなければいいのですが、本格的な部活動で勉強が二の次になるのでしたら部活は考えもんだなと思いました。

確かに鉄人は部活、男女交際、アルバイトはマイナス要因だと言い切られましたが、考えていかなければならないことだなと思いました。

塾長がよく言われるように「高校乳は通過点」ですから中学より勉強が大変になる高校生活は甘くないなと感じました。
2015/12/02
強味を生かそう
今回は志学ゼミ講師の話です。

先日、塾長より各講師に各自の強みは何かを聞かれました。

私は「陽気なところ、片付けが好きなこと」をあげました。そしてI先生は「認めて、ほめること」をあげました。

「それが小中学部のクラスの雰囲気の柱だね。明るく楽しい雰囲気でどんどんやれたことを認めてほめるように」と言う話が塾長から出ました。

自分の強みでクラスを引っ張っていく。意識をしていなかったことに改めて気が付いた日でした。自分に自信とやる気がわいてきます。

みんなもドンドン自分の強みを意識して前向きにやっていきましょう!
2015/11/26
机に向かわなかった子が机に向かうようになりました
小学生の保護者です。家での勉強の習慣がありませんでしたが、塾に通うようになって自主的に机に向かって勉強をするようになりました。塾であった出来事を良く私に話してくれます。

とくに芳賀先生の「ニュース記事」の話は面白いようです。ニュース記事を時間を計って読み、その後で内容について質問があるようです。最近では安保問題、難民問題など大人顔向けの話題も合ったようです。

子どもが時事問題に関心を持つことは良いことだと思います。朝、新聞やテレビのニュースを見ている時、わたしそのニュースを知ってるなどと言えるようになりました。
2015/11/08
懐かしき志学ゼミ
私は中学の時に志学ゼミに通っていました。あれから二十年近くになりますが、今も遅くに通っても志学の灯りが煌々とついていますね。志学ゼミの灯りは周りを照らす灯台のように思えます。

私は中学の時、「○○ちゃん」とあだ名をつけられそれ以降ずっとそう呼ばれていました。多くの塾生があだ名で呼ばれていたことを覚えています。

私が通っていたころ、阿部先生はドアを開けると門番のように仁王立ちして問題をだして解いてから入ったような記憶があります。遅くまで勉強しましたがとっても楽しく、厳しさと優しさを感じました。

勉強以外でもいろいろ教わりました。特に「親への感謝」ですね。受験が当たり前のようにできるのではないんだよ。親がいるからできるんだ。「受験ができる。ありがとう。という気持ちを忘れるなよ」と先生はよく言われていたことを親になった今でも覚えています。

今は教室が増えて生徒さんが元気に出入りされているのを見ながら前を通り過ぎております。今後も志学ゼミの益々の発展を祈っております。
2015/09/18
「わが子が合格するために親ができること、してはいけないこと」を読み終えて
「わが子が合格するために親ができること、してはいけないこと」を読み終えて 保護者様から感想文を頂きました ありがとうございます

塾の役割と学校の意義について私は個人的な意見(こうあるべきだ)を持って今日まで過ごしてきたが、志学ゼミの「塾とはこうあるべきだ」との意見は私のそれとは少し違うようである。

 先日テレビで、山口県生まれの有名人は?との番組があり、当然のことながら山口と言えば長州藩であり幕末維新に大きく関わった先哲が思い浮かんだ。

この本の作者である阿部泰志氏も山口県生まれだと言う、本編の中で氏のおやじについてのくだりがあるのだが自分の親について語れる事があるのはとても素晴らしい親と子の時間を共有してきたのだと感じた。

 当然私にも親父がいるのだが、この人は鹿児島生まれの「頑固者」であいさつや約束に関しては厳格な方で、人との約束は必ず守る事を教えられてきた、ただし勉強について「勉強しろ」と言われたことがなく、父は中卒であり自分からは頭の良い子は生まれない、つまりトンビから鷹は生まれないとの原理があったようで、勉強に関しては私に全く求めない父であった。

そんな環境で育ったからなのか、私も親になり子供には「勉強しろ」とは言わないようにしている。ただし宿題は必ずやらせる、また宿題の期日に関しては厳格に対応してきた、そんな事を思いつつページを重ねる。

 半分以上が読み終えた頃に、このままで良いのか、悪いのかとの疑問が大きくなっていった、はじめにも書いたが塾の役割についたこうあるべきだとの意見を私は持っているのだが、はたしてそれが正しい考え方なのか?

 私の考えはこうだ、学校とは人を磨く場所であり、複数の人に交じり時間を共有し、一つの目標に向かい全員で成し遂げていく過程が人を育て磨く事であり、その場所が学校であると、

 今日まで子供には運動会、合唱、林間学校などのイベントは全力で頑張るように接してきたので、運動会などは絶えず仲間を応援し点が変わるごとに一喜一憂している子へと成長してきた。

 学校と比べ、塾とは単に個人の「自己満足的目標を達成すべき手段」であると位置づけてきた、塾とは自己満足を達成する場所であり残念ながら人を磨く場所ではないと。

 本当にそうであろうか、単に自己満足だけの場なのか、子供に志学ゼミの話を聞いてみた、「楽しいよ」「面白いよ」との答えが帰ってきた、また「あの教え方はいいと思うよ」とベクトルが上をむいた答えばかりである。塾の中で子供の勉強に対する気持ちに大きな変化があったようだ、「学びたい」との意識が確実に成長したと感じる。
 
 塾とは単に個人の自己満足的目標を達成すべき手段との考え方を改める必要がありそうだ。阿部泰志氏に対しては単に塾長さんと位置付けていた私であるが、作品を読み終えた今、塾長先生は教育者であると確信した。
 
 最後に「するのが当たり前」の気持ちで行動できる人になろう、私もそうしていこうと決めました。
2015/07/04
「あいつには受かって欲しい」と言えた息子を褒めたい気持ちになりました
昨年度は無事第一志望の高校へ合格することができました。本人の頑張りはもちろんですが、志学ゼミの皆様のお陰だと思います。

本当によく子供のことをみていただき、毎月送られてくる成績レポート、コメントを読むのが楽しみでした。入塾以来すべて保存してあります。

講師の先生から伺う高校の話も学校選びの参考になったようです。

また、お友達にもめぐまれたようで楽しそうに塾に通っておりました。折にふれて塾長先生のお話。

自分のことだけではなく人のことが考えられるようになったと思います。そういえば昨晩もうまくいかなかった友達のことを気にしながら帰宅いたしました。

合格発表の朝も「たとえ自分は落ちても○○高校があるからいい。でもあいつは受かって欲しい」と一緒に都立を受けた友人を心配しておりました。

それを聞いて今日たとえ不合格をいただいたとしても、そんな気持ちを持てた息子を思いっきり褒めてやろうと思いました。

これからもそんな気持ちを忘れずにすごしてほしいと思います。本当にありがとうございました。
2015/06/29
居心地がいい場所
担当講師が保護者様と面談をさせていただいております。

そんな中でうれしいお話をいただきました。中2の保護者様からです。芳賀講師からの報告です。

最初は続くかどうか不安でした。しかし今では「塾に行きなさい」といったことがないそうです。

以下お母様のお話です。

数学の文章題が苦手で小学生の時はよく投げ出していましたので中学になってどうかなあと心配しておりました。

部活もやっていますが自分で時間を何とかして宿題をやりくりしているようです。テスト前は毎日のように通っています。

居心地がいいのでしょうね。

塾での模試をお伝えしますと、本人が見せてくれないのでわかりませんでした。こんなに取っていたんですね。

「AちゃんはK高校を希望しているんですよ」とお伝えしますと

「そうなんですか。自分で考え始めているんですね。あまりうるさく言ってもと考えていましたので、黙っていました。ありがとうございます」

居心地のいい場所。ありがたいお話をいただきました。皆様からもそういわれるように頑張ります。

2015/05/17
子供は子供で考えているんですね
受験生というのもわかるけれど少し台所の片づけを手伝ってくれない?と娘に言いました。

娘はそのときはあまりいい顔をしませんでした。それどころか「忙しいのに」と反発をしたのです。

それに対して私も感情的になるのを抑えて「そうだよね」と言いました。

実は次の朝にはきれいに片付いていたのです。もちろん娘がしたのです。

うれしかったですね。娘に言い返さなくてよかったと思いました。

よくご両親に認められるように頑張りなさいよと塾長から塾生に話をされているとは聞いていましたが、[家で認められると外でも認められる状況が出てくる]といいなと思っていました。

塾長とその話をしていた時、娘さんの国語がこれで上がりましたね」という話が出てきました。

親が子供を認めると認められた結果が出てくるそうです。お母さんは母ですから、母国語である日本語、つまり国語につながるということを教えていただきました。

また、「子供は親を好きであるばかりでなく尊敬しているのですよ」と言われてはっとしました。子供はあえて反抗しているのではないんですね。反抗しているようにみえてもちゃんと考えてくれいるんだ。それを親は認めていくことが大切なんだなあと思いました。


2015/05/08
OB塾生のお母さまからのお手紙 10年間ありがとうございました
先生お変わりはございませんか。ご無沙汰しております。受験シーズンを終えほっとしていらっしゃるでしょうか。

Yもお陰様で無事大学を卒業し、社会人になることができました。

思えば中学1年の春、親子で先生に面接をしていただいて10年、本人不だけでなく、私ども家族にとっても生涯思い出に残る時期を勉強はもちろん私生活においてもご指導いただき、精神的にも大人になっていく姿を見ることが楽しくうれしく感じられました。

受験できることへの親への感謝の気持ち、掃除をすれば何か気付ききが生まれる。トイレ掃除、浴室掃除は今でも続けてくれています。

また在学中の海外への一人旅。たくましく成長してくれました。母としても一緒に泣いたり笑ったり、受験期の日々を懐かしく思い出します。私たちも子供と一緒に成長してきたように思えます。

この春から社会人になります。不安定なご時世の中でどう生き抜いていかれるかわかりませんが、港の灯台のような志学ゼミの灯りにまたお寄りする機会がございましたらよろしく相談に乗ってやってください。

学生生活の10年間、本当に本当にありがとうございました。
2015/03/18
国立大学医学部合格の宮地君の合格体験記
「国立、都立にも落ちた」その春、私に桜が咲くことはなかった。しかし「一秒前は過去」阿部先生の言葉が私を前向きにさせた。そして三年後まで開花を待つことにした。私を支えたのはたった一つ「医者がいない地域で医者になって人の役に立ちたい」ことだ。

高校に入り、小学1年からやっている野球を続けることは必然で硬式野球部に入った。文武両道。しかし中学時代ほど容易ではなかった。勉強時間の絶対量の確保に奔走した。空き時間をなくすことを決意した。授業と授業の合間、移動時間、入浴中、たった十分、されど十分。「ちりも積もれば山となる」そう信じた。実際のところ、この時間こそが私の得意な英語の源泉ともなった。

夢に向かって歩み始めていた私は、高校入学前から第一関門である大学入試を意識した。甲子園の予選大会前には勉強する気力さえ奪われる。しかし、だれよりも早くから勉強をしているという自信が背中を押し続けた。また、私ほど多くの人に相談をした人間はいないと思う。鉄人こと水谷先生、塾長、両親、学校の先生…あげればきりがない。幾度となく私の進むべき道を修正していただいた。

志学ゼミは最初のエンジン点火から作戦、燃料補給に至るまですべてにおいてバックアップしてくれた。特にクエスチョンマークが頭にすぐ浮かび疑問がわく私にとって鉄人(水谷先生)との出会いは衝撃的であった。

英文法はすべて理屈で、単語は語源から、長文は背景知識までユニークに教えていただいた。いつでも、どんない細かくても気兼ねなく聞けた。もちろんそれも即答だ。気になった時事問題について夜中まで議論もした。一度話すと一気に教養が深まるような気がした。将来の相談にも乗ってくれ面接対応までしてくれた。

部活は高3の夏まで続いた。正捕手、副キャプテン。十二年間の有終の美を飾るため少しの妥協を許さなかった。7月18日。私たちの夏は幕を閉じた。結果はベスト32。しかし満足のいく結果だった。そこから死闘が始まった。

国立医学部のハードルはかなり高いものであった。現実を突き付けられ、何度もあきらめかけた。そんな時「何のために勉強をしているのかを自分に問ういてみた。」「そうだ医者が少ない地域の人に医者になって役に立つんだ」私は、自室に尊敬する医師の写真を貼った。自分の将来の姿を想像した。必死にモチベーションを高めた。

そして2月25日。「秋田で満開の桜を咲かそう」その地に立つ姿を想像した。いま、合格体験記を書いて自分の軌跡が美化されているようにも感じた。しかし最後にこれだけは伝えたい。

「実現させるための夢を持ち、多くの人に助けを乞い、常に歩み続けた人間が合格という栄冠を勝ち取れる」と。

鉄人、塾長、両親、数多くの私を支えて方々に感謝します。
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