志学ゼミの前身は松川先輩が行われていた松川私塾が出発点です。先輩の下宿は田端にありました。その六畳一間で教えられていました。司法試験の勉強をされながら近所の方から頼まれたお子さんの勉強を見ておられました。私が海外勤務から帰国して稲垣ビルに移り塾を本格的に始めることに為るのですが。先輩は当時から塾内新聞を手書きでだされていました。松川先輩が大学院に進まれ、予備校で働くようになり、その新聞を引き継ぐ形で私が書かせていただくようになりました。
ある時「なんで勉強をするのだろう」という塾生の質問に答えた内容を文章にしたところ保護者様からお褒めの言葉をいただきました。それから塾であったこと、私が感じたことを「こころの時代」としてB5サイズのコピー用紙に書いてはお配りをしてきました。
2012年それまでのものを1冊の本位まとめて出版しました。それからも毎年、小冊子にして保護者様、塾生の皆様に配布させていただきました。
合格発表をすべて終えて不合格が続いているに、合格をしていると告げた話。受験生に為ると受験生と一緒に掃除をする話。年末に塾生、OBと掃除をする話。一番悲しかった塾生の死の話。塾生と保護者様の葛藤の話。極貧旅行を経験した講師の話。余命ニヶ月と宣告されながらも見事な生きざまを見せた私の父の話。3.11の震災の時、身銭を切って被災地を励ますために笑顔のハガキを作った和尚様の話。私が経験をしたり、感動をしたことをお伝えしてきました。
私自身、大学を卒業する前の会社の研修で倒れ、意識不明になり、心肺停止を経験したことがあります。「いつまで生きられるのだろう」と不安に思いながらも「生かされている命」に感謝をしました。静岡で倒れ、その病院では扱えないので東大病院へ移されました。
起きると隣の人が入れ替わっている病棟でした。体に力が入らず、握力はゼロでした。そんな時、自動車教習場の期限が切れることを思い出したのです。そうすると不思議なことに力が少しずつ入るようになり、長期入院を宣告された私は2週間で退院となりました。
退院後は「ああ、今日も生きている、ありがとう」という言葉が出てきました。親、先祖、のつながりの中で生かされている命であることを痛感しました。命のありがたさ、親のありがたさがようやく体でわかったのです。
そんな日々の中で自分にも生まれてきたからには何かやらなければならないことがあるのではと思うようになりました。そしてそれが終わるまでは生き続けられると思うようになったのです。塾生にも「生きているんだから、なにかやることがあるんだ」。「受験は人生の通過点」自分か将来やりたいこと、なりたいことへの通過点。何の仕事をしていてもいいから人様のお役に立てるように。そして「十年後に会いたく為る人間でいてくれ」と言って送り出しています。
私自身、けっして勉強ができたわけではありません。むしろできなかったほうです。みなさんもそうですが実はそのできなかった中に自分の魅力も隠されてリ事が多いのです。
できなかったことをどう克服したのか、どう取り組んだかの中に自身の魅力が出てくるのです。ですから就職試験を迎える学生には「ぼくらもみんなできなかった」を書いて頂いています。
いま時代は「考える」人間を求めています。そして「どう生きるか」を見直す時代に入った用に思えます。