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門脇 寛 編 小学教諭

僕らもみんな出来なかった

第28回 門脇 寛 編

「志学ニュース」2007年3月号より

今回「僕らもみんなできなかった」を書くにあたり、阿部先生から「自分の教師になりたいという気持ちの原点は何か」というテーマを持って書くように言われました。自分が教師になって辛いことでくじけそうになった時に、原点に戻れると言うことはとても大切なことであるからです。

私が教師を目指すきっかけとなったことは中学校の時に野球部は都大会の常連校で、練習はとても厳しいものでした。私が初めて野球部を見学しにいった時、あまりの練習の厳しさに三年間続けていけるのかと心配になりました。また練習だけでなく生活面でも厳しく指導されました。外部指導者であった海東先生は、学校では私の生活態度を見ることはできなかったのだが、自分からは何か言ったりすることはなくても、練習の中でミスが多かったり、気を抜いて取り組んでいると必ず何かあったのではないかと指導されました。そのため普段の生活でも気を抜いたりせず、行事等でも中心となることが多かったのです。

練習中の先生はとても厳しく、練習中や練習試合でミスをしたり、良いプレーをしたりしてもそれ以上にもっとできると指導されていました。練習中にはあまり褒めるということはなく常に厳しい先生でした。しかし大会ではミスを犯しても厳しく指導するのではなく優しい言葉をかけてくれたり良いプレーができるととても褒めてくれたりでした。普段は厳しい先生だったが、試合になると私たちと一緒に共に喜んだり、悔しがったりしてくれました。しかし中学生だった私には辛い練習の印象が強く、先生は怖くて近寄りがたい存在でした。

中学校を卒業した後、私は高校でも野球を続けた。高校三年間ではチームの中心として活躍することができました。そして部活も終わり久しぶりに中学校の部活動の様子を見に行きました。そこには自分が野球部にいた時と変わらない海東先生がいました。最初は中学校の時の印象が強く近寄りがたかったが、先生と話をしていてそんな気持ちもどこかにいってしまいました。なぜなら先生は生徒の話をするときは自分の子どものように、この子はこうしたほうが良い、あの子はもっとこうするべきだと話してくれたからです。中には野球のことだけでなく生活面でも問題があるという生徒の話もありました。生徒の数はそれほど多くはないが、しっかりと見ていないとここまで理解することはできないのだと思います。先生はそれだけ生徒に対して真剣に向き合っているのが解りました。私が中学生の時は怖いという印象が強かったので先生がこのように考えていたということは想像もできませんでした。そして何より驚いたことは私が中学生だった時のこともしっかりと覚えていて、当時のことをいろいろと話してくれました。ここまで私のことを考えていてくれたのかと思った時、とても感動しました。そしてこの時将来のことで、どういった道に進もうかと迷っていた私は、先生のこういった生徒への真剣な取りくみを知って、いつか私も先生のように生徒に対して真剣に取り組めるような教師になりたいと思いました。

しかし私の学力は中学生での高校受験の時に得たもので、高校での学力はほとんど身についていませんでした。受験に身を入れ始めたのは夏休みも終わった八月の頃で時間がないにもかかわらずやらなければならないことはたくさんあり、何からやったらよいのか分からずにいました。これでは駄目だと思い中学の時にお世話になった、志学ゼミへ通うことにしました。最初は先生方に言われたことをただ必死にこなしていただけでした。なかなか結果は出てくるものではなく、常に焦りと、もう受験勉強なんてやめてしまいたいという思いでいっぱいでした。おそらく自分一人で受験勉強に向かっていたら大学進学をあきらめて他の道を進んでいたのではないだろうかと思います。しかしこの時の私には一緒に勉強する友だちと、優しく時には厳しく支えてくださった先生方がいました。友だちとはただ一緒に勉強しただけではなくお互いが勉強が嫌になった時に励ましあったり、テストの点数や問題集の進行などで刺激しあったりしていました。あまりにも勉強に集中できなかったり、逃げだしてしまいたくなったりした時にも一緒になってハメをはずすこともありました。そんな時に支えてくださったのは先生方でありました。先生方は今の自分がどれだけ重要な時であるのかを意識させてくださり、気を抜いていると厳しく叱ってくださりました。また勉強のことで悩んでいると自分のことのように親身になって考えてくださったので、自分のそれに答えなくてはならないという気持ちになり、勉強に集中することができました。

受験勉強を進めるにつれて、段々と自分で何をやらなくてはいけないということが分かってきた。そして自分にはやらなくてはならないことがたくさんあると思い、新しい問題集に次から次へと取り組んでいました。しかし問題集の数をこなしていってもテストの結果に現れることは少なかったのでした。

センター試験まで残り1ヶ月くらいになり阿部先生に言われたのは、新しい問題集を解くことよりも今までやってきたことを何度も復習し、間違ったところがしっかりわかるまでやることが大切なのであるということでした。それから今までやってきた問題集を間違っていたところがしっかりわかるまで、十回も二十回も繰りかえしました。その時自分では解っていたつもりの部分がほとんどで、実際には理解できていなかったことがわかりました。そして新しい問題集を進めていた時よりも、テストの結果にはっきりと自分の力が伸びていることが現れはじめました。

徐々にではあったが自分の力が現れはじめた時には、すでに試験まで残りわずかとなっていました。一度もしっかりとして結果を残すことができず本番を向かえてしまったのでとても不安でいっぱいでした。しかし短い期間ではあったがそれ以上に自分では充実できたものでした。そして私は、自分の目標としていた教師になるということを実現させるための場として、大東文化大学文学部教育学科に合格することができました。八月からの半年間という期間と、それまでの自分の実力を考えると最高の結果であったと思えます。

今年私は四年間の大学生活を終えます。大学では教員免許を取得することができました。去年採用試験に臨んだのですが、合格することはできませんでした。採用試験はまた受けようと思っていますが、今年一年はいろいろな教育現場を見て、教師としての学力だけではなく子どもを教育するということはどういうことなのかを学んでいきたいと思っています。

阿部先生や海東先生のような教育者になりたいと思いますが、私にも自分なりの信念がなくては子どもたちと真剣に向き合ってはいけないと思います。私はこの「僕らもみんなできなかった」を書き終えた時、阿部先生から「お前は不器用な人間だ。でも器用な人間になろうとするな。不器用なまま子どもに向かっていくことが大切なんじゃ。」と言葉をいただきました。自分でも私は不器用な人間だと思います。不器用だからこそ失敗を恐れず取り組むことが大事なことなのです。無理だと思って逃げ出すことよりも、まずは何事にも挑戦しなければ決していい結果は生まれないし、なぜできなかったのかという反省もできないのです。私は不器用な人間だからこそ子どもたちに何事にもあきらめずに挑戦する勇気を伝えていきたいと思います。

最後に私の夢を少し書きたいと思います。それは高校野球の監督になり甲子園で校歌を歌うことです。野球というスポーツは実力差に関係なく攻撃と守備の機会が平等に与えられるスポーツです。攻撃と守備が平等に与えられるといってもプロの選手や大人と子どもでは実力の差はあると思います。しかしどんない優秀な選手を集めても同じ高校野球では実力よりも様々なことが重要であるといえるでしょう。その一つに辛い時に自分に自信を与えてくれることがあるのではないかと思います。これは海東先生が教えてくれたことです。練習中は決して優しい言葉をかけなかった先生でしたが大会の勝負の掛かった場面で言った言葉が「ここまできたら自分たちのやってきた事を信じて楽しんで来い。」でした。正直中学生の時にはわからなかったことですが、今になってこの言葉の意味がやっとわかるようになりました。どんなに練習で技術を磨くことよりも、辛い時に自分に「自分ならできる」という自信を付けさせてくれる何かを積み重ねていくことの方が大事なのです。だから技術的に優れた選手を育てることよりも、強い自分を持った選手を育て、そのような選手たちと甲子園で校歌を歌えるように努力していきたいと思います。

もし私が甲子園に出るようなことがあれば応援よろしくお願いします。

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